ひろプリ48

ひろがるスカイ!プリキュア48
第48話 守れヒーロー!みんなの街!

どうなんだろうねーこれ。
ちょっとモヤモヤしちゃった回。オチがよくない。
カイゼリンを救って、またすぐ殺されるのは無力感がある。
せっかく救ったのにどうして、ってみんな思うんじゃないだろうか。
それまで、本当にそれまではいい話だと思っていたのに…。
なーんか、理不尽なことは人生で充分味わっているから、プリキュアには、そうではない、必ず光で照らしてくれるところを見せてほしかったな。
まあ、結局カイゼリンは助かるんだと思うけれど、ならばあの表現はやり過ぎで、ただただ後味を悪くすることにしかならない。表現としては、ただスキアヘッドが復活して、ヒェッ…ってなるので充分だった。
万一カイゼリンが助からないということがあれば、今まで何のために戦ってきたのかいよいよわからなくなる。

エルレインが残していったモヤモヤ感もまだ拭われていない。
カイゼリンの証言が本当ならば、エルレインは下衆だ。
それどころか、大事な瞬間に、最後の力を与えたなとど言って消えてなくなる、要は、カイゼリンとの対話を避けて逃げたということになる。
それはへたれすぎじゃん…?
だから、本当は別の解釈があったり、アンダーグエナジーで記憶が書き換わったとか、そういう話でないとつじつまが合わない。
もちろん大前提として、つじつまを合わせる気がない、正義が揺らぐような解釈を許すのならば、それはプリキュアではないと思う。
なんにせよ、重要人物に疑念を抱かせたまま話を進めるのは、好みではないかな…。

力こそ全て。アンダーグ帝国のモットーだが、これは、ひろプリのコンセプトと正しく対比しているだろうか?
プリキュアたちは、強大な力を抑制、浄化しているが、その目的はなんだろうか?
それはただ一般的なヒーローの行動規範でしかない。
そもそもひろプリのもつメッセージはなんだろう?
思い返してみると、向上心、協力、絆、そういった単語が思い浮かんだ。
力こそ全て、というのは、それとは対比しない気がする。
なんか、戦う意味がよくわからないんだよね。
攻められたから戦っているとか、先人の残していった因縁のために現代の人が戦っているとか、そういう受け身な戦いをしているとどうしても思ってしまう。
これは、戦う理由を丁寧に説明しようとしたからこそ、逆にほころびが目立っているところだと思う。

いろんなところが気になるが、これは来週明らかになると思う。
ぐちぐち言ってしまったけれど、期待しています。
来週で戦いが終わり、再来週でみんなの未来を描くことになるだろう。
近年のプリキュアで50話到達ってかなり珍しいから、誇っていいぞ!

それではまた来週!